日本の介護保障のあゆみをとらえなおす――ローカルな歴史への探求

掲載日: 2017-03-01

 2000年に介護保険法が施行されて以来、この15年間で介護保険サービスは急速に規模を拡大し、今や10兆円産業となりました。担い手の数も130万人に達し、街を歩けば誰もがヘルパーさんの姿やデイサービスの送迎車を目にします。このように、私達にとって介護サービスを利用することは、もはやごく当たり前のことになっています。

 ただし、このような介護をめぐる制度やその実践には歴史的な背景があります。日本では、戦争の傷跡の残る1950年代中頃、高齢者は稼得能力の低さ故に経済復興から取り残されていました。加えて子供が戦争の犠牲に遭ったために経済的な支えを受けることができず、困窮から抜け出せない者も少なくありませんでした。当時の彼らの暮らしを支える制度としては生活保護がありました。しかし、生活保護は受給基準が厳しく、誰でも気軽に利用できるものではありません。また困窮高齢者のための入所施設である養老院(現、養護老人ホーム)も彼らを収容するだけの十分な数はありませんでした。以上を背景に、公私共に頼るあてがない生活に困窮する在宅高齢者が多数存在し社会問題化していました。そこで各自治体が彼らへの生活支援策として、法整備を待たず独自事業として彼らの元に訪問し生活支援をはじめました。これが日本における訪問介護制度のはじまりとされています。

 これまでの訪問介護制度の歴史研究は、法制度の変遷を中心に時代区分がなされてきました。しかし、訪問介護制度の実施主体は当初から現在に至るまで市町村であり、各地域によって各々の実情に合わせた異なる実践が展開されてきました。したがって本来、介護の歴史をめぐる研究には、法制度の変遷を追うだけでなく、各地域での個々の実践を歴史的に探究しデータとして蓄積する作業が不可欠なのです。

 私はこれまで、京都市や札幌市、秋田市などを調査し、各地の訪問介護制度の歴史を明らかにしてきました。なかでも、京都市が1955年11月から「遺族派遣婦事業」の名で実施していた訪問介護サービスの実施経緯や事業概要、その後の動向などを、一次資料から実証しました。この成果は、長野県で1956年より実施された「家庭養護婦派遣事業」を日本の訪問介護制度の端緒とする従来の通説を覆し、日本の訪問介護制度の成り立ちを根本から捉え直すものとして、先行研究に一石を投じました。

資料の一部 市町村の資料は既に保存期間が満了となり廃棄されているものも多く、収集は容易ではありません。そのため、市町村史や地方議会議事録、行政の広報紙や地方新聞、関係団体の資料、さらには当時の担い手たちの手記など幅広い収集が必要となります。これらに残された数少ない記述から、ようやく歴史の輪郭が浮かび上がるのです。しかし、この段階で十分な理解に届くとは言えません。幅広く収集した膨大な資料との対話が必要不可欠です。それは、そこに記された過去の出来事が映像となって眼前に飛びだし、私たちに当時の情景を想起させてくれるような作業です。まるで映画を見ているかのようでもあり、またその時代にタイムスリップしたかのような錯覚さえも感じさせます。この二つの段階を経ることで、私達はようやく過去の出来事をただ時系列的に追う「年表」的理解から抜け出し、社会背景やその街の歴史の体系的理解が可能になるのです。

 自治体の数だけ存在する「ローカルな歴史」を、つぶさにたどることは不可能かもしれません。しかし、介護の現場実践への着目無くして、よりよい社会福祉への十分な理解はできません。その意味でも、「ローカルな歴史」への着目はとても大事なことなのです。

掲載された論文

佐草智久(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 院生)

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