対峙 ― 70年代の運動とドキュメンタリー/原一男監督を囲んで

掲載日: 2016-07-01 English: for English

さようならCP ©疾走プロダクション

1970年代前半。自主上映というかたちで、社会を鋭くえぐるドキュメンタリー映画のフィルムが日本各地を廻り、さまざまな出会いや対立を呼び覚ましつつ、新たな運動を切り拓きました。2016年4月29日、実行委員会と生存学研究センターの共催で「原一男監督と考える 70年代の生の軌跡――障害・リブ・沖縄 〜 初期ドキュメンタリー作品上映とトーク」を立命館大学朱雀キャンパスで開き、200人以上の来場者がありました。

上映した原監督作品は1972年公開の「さようならCP」と、1974年公開の「極私的エロス・恋歌1974」。CP(Cerebral Palsy)とは脳性まひのこと。前者は障害を持つ身体を路上にさらして差別を告発した脳性まひ者でつくる「青い芝の会」にカメラでぶつかった第1作。自立生活運動を知らしめた歴史的な作品です。「極私的エロス」は原監督が、ウーマンリブの活動家でもある元恋人を追って、本土復帰前後の沖縄へと、現在の恋人と一緒に向かう第2作。

「さようなら」から「極私的」へ。前者は障害者運動に関わる人なら誰しも知る映画です。後者も、ウーマンリブで先頭に立った武田美由紀が主人公で、女性運動史では伝説的な作品ですが、一緒に論じられることはめったにありません。しかし二つの映画の主題はつながっており、運動を担った人も重なり、対立と批判を巻き起こし、監督も批判を浴びる中で、熱く、新しい当事者運動が高揚しました。車椅子やベビーカーでバスに乗ることにさえ社会的バリアがあった時代。障害者とリブは時に共闘し、優生保護法案を巡っては対立しました。それは基地と売春問題、「本土復帰」した沖縄の問題へと、さらに幾つもの運動や生活実践へと走り出していきます。しかし現代は、社会運動はテーマごとに分断され、学術研究も細分化しています。すぐれた論文や実践はあっても、異なる領域の人たちを巻き込み社会に衝撃を与えることはまれです。

なぜ、70年代前半に、この映画2作品がインパクトを持ちえたのでしょう? しかも撮影段階では「青い芝」も武田美由紀も、それぞれの運動も有名ではなかった。あえて2作品を一度に上映することで、混沌とした運動のうねりを再考したいと企画を思い立ちました。

撮影当時を語る原一男監督(写真左=立命館大朱雀キャンパス)

上映後のトークでは立岩真也さん、リブについて村上潔さん、沖縄の反基地闘争について大野光明さんから原監督にコメントがありました。カメラがあえて映さなかった部分の狙いについての問いが目立ちました。

脳性まひで言語障害がある日本自立生活センターの小泉浩子さんからは、次のような問いが原監督と会場に投げかけられました。

《「さようならCP」の中の世間の声のように「あんな風になりたくないよね」。そんなメッセージが私に迫ります。青い芝の中心メンバーに女性の姿はなく、映画でも女性を侮辱したような発言がありました。脳性まひ者の私は「障害者」でした。そして、これまで「人」でも「女」でもありませんでした。健常者に憧れるように、私は「女」にも憧れていました。しかしそれは男や社会に保護される存在としての女性像でした。「障害者」を、また「女」を、弱い者、保護の対象と考える社会への反発という意味で、2つの映画はつながっていきました。みなさんに問いたいです。「青い芝の会」のCP者たち、みなさんと同じ一人の人として、見れますか? そして、私のことを一人の女性として見れてますか?》

「さようならCP」の登場人物には言語障害があり聞き取りが困難ですが、当時は字幕なしで上映されました。原監督は「簡単に分かってたまるか!」との思いがあったと振り返りました。また「運動に寄り添うような映画は絶対撮らないと決めていた」とも監督は語っています。撮る側と撮られる側の対峙をさらし、撮る側のはらむ暴力に自覚的であること。原監督の映画が運動の発火点になった理由の一つはそこにあるのでしょう。ドキュメンタリーだけでなく広く書く側や研究者にとっても、対象との権力関係や己への問い返しをどこまで露呈するかは、横断的な論争や新しい社会のうねりを作り出す鍵だと思えます。

岡本 晃明

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