生存学奨励賞受賞作が決定しました

掲載日: 2016-01-26

生存学奨励賞について、生存学研究センター運営委員および外部審査員からなる計7名の審査員による厳正な選考の結果、以下のように生存学奨励賞と審査員特別賞が決定いたしました。

生存学奨励賞 『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』
磯野真穂 著 春秋社 刊
審査員特別賞 『越境する障害者 アフリカ熱帯林に暮らす障害者の民族誌』
戸田美佳子 著 明石書店 刊
『死産児になる フランスから読み解く「死にゆく胎児」と生命倫理』
山本由美子 著 生活書院 刊

生存学奨励賞
『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』講評

 なぜふつうに食べられないのか。そもそもふつうに食べるとはどういうことか。本書は、思春期という人生の早い段階で摂食障害に陥った6人の女性たちを事例として、心と身体が正常であれば、人間は普通に食べることができるのだと措定する還元主義的な医療モデルを批判し、食べることと社会との関係の根源を問い直すことを目指したものである。

 生存学は、障害や老い、病、異なりを抱えた人びとが、福祉や医療の対象とされる以前に、それぞれの生を紡いできた過程、彼らの生きる知恵や技法が創出される現場に光をあてる。そこから、人びとの経験と社会との関わりを解析し、これからの生き方を構想し、あるべき世界を実現する手立てを示すことを基本構想としている。6人の女性たちの食べることをめぐる日常的な営みを緻密に記述することで、食の営みをカロリーや栄養素といった数値化された自然科学的な食の管理や、家族モデルに代表される病をめぐる専門的な言説へと回収することこそが摂食障害を抱えた女性たちを「ふつうに食べること」から遠ざけ、食べることが人と人とのかかわりの中で行われる営みであることを見失うこととなっていることを説得的に示し、そこから彼女たちと私たちに共通する「食べること」の意味の根本的な見直しを説いた本書は、まさに「生存学」の基本構想を体現したものであるといえよう。とりわけ6人の女性たちが何をいつどのようにして食べるか(食べないか)に関する「行為」に焦点をあてた分析は興味深く、当事者をふくむ一般の人々にも読ませる文章力と、聞き取りした語りや行為に関する事例の描写とそれを基盤とした飛躍のない理論の使いこなし方は見事であると評価された。

 他方で、還元主義批判は、文化人類学という学問的な方法、批判のスタイルとしてはオーソドックスなものでもあり、食の本質を問ううえで他にもっと参照すべき人類学的な議論があったのではないかといった意見も提示された。また、本書は「食べることの本質は科学的な数値の中にも専門家の著書の中にも存在しない。食べることの本質は、人と人との具体的なつながりの中に存在する」と力強く結んでいるが、その具体的なつながりの中に存在しうる食べることの豊かな本質とは何か、私たちはいかにして還元主義に容易く陥るのか、いかにしてそこから逃れられ「食べることのふつう」を取り戻せるのかを問う手立てを示すことはできなかっただろうか。

 とはいえ、本書は摂食障害という病名を付与された人びとだけでなく、彼女たちがもつ現代社会で推奨される食べ方と相似形の世界観を写し鏡として、自然科学と専門的言説の時空間に多かれ少なかれ従属して生きている私たち自身の食と生を改めて問い直させる優れた著作であることに間違いはない。

審査員特別賞
『越境する障害者 アフリカ熱帯林に暮らす障害者の民族誌』講評

 カメルーン熱帯雨林に生きる障害者たちの生業やケアに着目し、生態人類学や相互行為論にもとづいた描写と分析をおこなった佳作である。本書は、アフリカに生きる障害者のエスノグラフィーから西欧・日本に見られる「ケアする側の論理に立脚する社会」の再考をうながし、差異をめぐる構築主義的な立場から対等性・平等性をめぐるコミュニケーションを論じる意欲作として評価された。しかしその一方で、第三世界と障害学に関する論点や基礎となる理論にオリジナルな主張が弱く、内在的な考察が不十分であり、その結果、民族誌的な調査研究にもとづく「深み」が不足してしまっている。第三世界に関する研究はいわゆる他者研究にとどまりがちであり、本書もその枠組みを抜け出ていない。以上の点から次点にとどまる結果となったが、研究内容は「障老病異」にある人びとの生存/生存の場に光をあてる生存学の営みと共鳴する研究である。今後の展開に期待したい。

審査員特別賞
『死産児になる フランスから読み解く「死にゆく胎児」と生命倫理』講評

 本書は、従来の生命倫理学で扱われてこなかった領域を「死産児」という切り口から切り拓いていく意欲的な試みの成果であり、その「死にゆく胎児」という切り口のユニークさや、フランスの事例の詳細な検討は、十分評価に値するものである。また本書は、生命倫理学と近代社会を問い直すことの意義ならびに可能性の一端を提示していると評価でき、今後の生命倫理学研究の批判的検証につながる学術的意義を担保している。

 一方で、本書の結論と考察は新規性に乏しく、独創的な提言も見られない。また、世界全体(日本や英米圏)を見渡した総括にも及んでおらず、フランスの事例を普遍的な議論へと発展させる段階までには至っていない。プロライフとの関わりなど、今後の研究でよりクリティカルな展開がなされることが期待され、本書自体はその前提となる成果という位置づけが妥当かと判断される。よって、本書は審査員特別賞とし、申請者の今後の研究の発展を期待する。

総評(生存学研究センター長 立岩真也)

 まず各審査員の評価はなかなかみごとに割れたこと、それでも率直でまじめで熱心なやりとりがなされた上で、民主的に結果が決まったことをお知らせする。その上で、以下、総評といったものではなく、その審査員の一人であった者が思ったことをすこし記させていただく。

 たんにきちんと調べてたんにたくさん書けばよいといったことを思うこと、ときに本当に言ってしまうことがある。実際調べることができるだろうこと、しかし調べられていないことが山ほどある。あると思うからこの生存学研究センターなるものもやっている(のだと思う)。今回は、そうした「べたな」しかし十分に高密度・高濃度な作品はなかった。別の年にはそんなものがあったこともあったし、これからもあるだろう。ということにして、これ以上は述べない。

 ただ、たんに書いていっても、もっと考えたくなるし考えてもらいたくなることがある。今回残った本はそんな本たちだった。ここではまず、近年わりあいよくある、そして私たちが行き止まっている地点を示していると思う二冊をあげる。

 摂食障害についての本は、摂食障害だとか過食だとか言われるものが具体的にどのような行ないとしてなされているのか、かなりわかったように思える本だった。「へーなるほど」、と思えた。それが評価された。だがそのことは、これはいったいどんな行ないであるのかという問いを誘発する。そしてその問いに対する答は、その本にというだけでなく、読者にも思いつかないのだ。ある捉え方が間違っていることは言われている。ただそのことを言うのはそんなに難しくないから、そこで読者はあまり感心しない。「で、結局どうなの?」と読者は思う。もしかしたらその問いは不当な問いなのかもしれない。しかし、不当であると思える手がかりもまたない。私(たち)に答はない。ないものねだりかもしれない。しかし、もっと言えることがあるんではないか。そう思った。

 もう一つ、「途上国」と障害という主題。これは最初から外れたい道筋がはっきりしている話だ。ここで人が考えることはすぐにわかる。まず「遅れている」という話になってしまいそうだ。しかし、そのように言うのは嫌だ。先進国の優越を言うのは退屈だし、ださいし、失礼だ。ではどう言うか。その地には「それなり」のやり方があるという話をすることになる。実際に「それなり」はあるのだろうし、その本にはその事実が書いてある。しかし、それでも「ここまでも決まった道だよね」という感じが残る。たぶんそこから先なのだ。ここでも私(たち)は著者に優越する答を持ってはいない。だから偉そうなことは言えない。ただそれでも、私たちが彷徨っているその場所の気にしかたがあったように思えた。

 もう一冊はフランスにおける「〈死産児〉にする」行いについての本だった。たしかに着目されてこなかったところを探ろうとしている。ただ、その行いを、母体から娩出される前に処置してしまって「生まれてしまった」子の処置に関わる厄介さを回避しようというだけの行いがなされるようになった、と捉えればよいのか、そうでもないのか。書いていく筋、「指し手」を打っていくその手順が「まずは」はっきりしている前の二冊に比べてわかりくいところにこの主題はあって、筆者は記述に徹せねばと思いながら、幾度かこれがどんなことであるのか言おうとして、言って、しかし止まった。そのように読んだ。詰めれば単純なことかもしれない。単純であること自体は、またそのことを書くことも、それ自体まったくわるいことではないのだが、そうかもしれないという問いにどう向かうか。こうした問いも研究ではよく現れる。どんな開き直り方や、先に進むその進んで行き方を定めるか、ここは大切なところだ。そしてそれは自分で考えるしかない。

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