第5回「生存学奨励賞」受賞作が決定しました

掲載日: 2019年12月27日

第5回「生存学奨励賞」について、計6名の審査員による厳正な選考の結果、以下のように決定いたしました。

生存学奨励賞 著者:堤 英俊
タイトル:『知的障害教育の場とグレーゾーンの子どもたち : インクルーシブ社会への教育学』
出版社:東京大学出版会

生存学奨励賞講評(生存学研究所 所長 立岩 真也)

 毎年、比較のしようのない著作が送られてくる、審査員たちの評価がいつも意外なほど分かれる、という経過を今回も辿ったのだが、奨励賞の対象は本書に決まった。

 よくできた本である。まっとうなことが言われているためにかえって茶化したくもなるのだが、しかし、そういう姿勢もだめなのだろうなと自ら反省してしまう。そういう本だと思う。そしてこういう本・論文もまた書かれ、教育学の内部に生産され流通するようにはなったのだろうと思う。知っている人は知っているように、知っているというより体感し経験し消耗したことを覚えている人もいる、強い対立があった。そのかん、教育学は対立する側をほぼ無視することによってかたちを保ってきたのだが、その争いの棘の立ったところがいくらか磨耗することによってこうしたものも書かれるようになって、そして正しいことが言われた。寿ぐべきことであるだろう。

 しかし、と思うところが、すこし、ある。一つ、何がなぜよいのか。それは国際的動向によって示されるとされる。福祉や教育に関わる言論や実践の常套である。しかしそれは、多く有効ではあるが、ときによくないのではないか。「インクルージョン」はどのようによいものなのか。条約などになるときにはいつもそういうことはいくらか曖昧になる。すると、それをもってくることはよいか、自ら論を立てないことはよいか、となるだろう。

 一つ、特殊教育をよしとしたその論、その論を言い繰り返したその流れについて。本書で、業界では知られているのだろうがそれ以外の人は知らない三木安正といった人の思想が紹介され、それはたいへん勉強になった。きっとそれは今に至るまでに関わっているのだろうと思われた。ただ、1960年代、1970年代、1980年代の、単調に繰り返されいくらかはいつのまにか変化していった言説にはどのように対するのか。もう誰もが知っているから略されたのかもしれない。しかしせっかく教育学においてこの主題の論文・書籍が書かれるなら、もっと記述がなされてよかったかもしれない。

 一つ、それに対した「共生共育」派について。幾人かの研究者は出てくるが、そうした人たちの言論は、その不定形な動きのごく一部であった。となると、それをどのように掬うか、そして纏めてみるかということにはなる。

 しかしこれらは、本書の本体ではないとは言えよう。「特別支援教育」の場はどのような具合になっているのか。それが描かれる。たぶん「現場」の人たちは毎日よくよく体験していることなのだが、たぶん――たぶん、と言うのは私はその学界・業界の書きものをよく知らないのだ――それは教育学においてもどこにおいてもきちんと書かれることがなかったのだろうと思う。だとすると、「初物」として、本書の価値はたいへんあると思う。

 そのうえで、そこから本書が示すまったく正しい道――誤解はないにちがいないが、まったくそのように考える――だけが出てくるかなと、思った。いじめられて、いづらくなるから、別のところに移る。それは残念なことだし、世界の潮流にも反するから、「普通」の教育の場も「特別」の教育も変わらなくはならない。そのとおりだ。しかし、その場でのことにその時にむかっときて暴れたりする。もちろんそれを通そうとしても、今の場では無理があり、だから「場」を(だんだんと)変えなくてはならない。その通りだ。しかしそんなことはじゅうじゅうわかっていながら、その場で、ときによくわけのわからないことを言ってそしてやってきた動きがあった。「共生共育」の流れの傍にいた者は、それをなにか立派なものであったとはけっして言わないが、そう思う。とすると、そのその場では勝てない自らを消耗させる怒り憤りと、しかしたしかにまちがいなく必要である「仕組み」の変革とをどのようにつなげていくか。それはいま、一つ、一つとあげたことでもある。そうした、たいしたことが言えるわけでもなかろうと思いつもなされてほしい今後の研究の礎に本書はなっているのだと思う。