聴覚障害/聾者支援の現場から

掲載日: 2011年11月01日English

「言語(手話を含む)」と規定された改正障害者基本法案が2011年7月29日、参議院本会議で全会一致で可決、成立し、8月5日に公布されました。この改正により、第3条三に「言語(手話を含む。)」と規定され、日本で初めて手話の言語性を認める法律ができました。

この改正は聴覚障害教育にとって大変重要なものです。最近の聴覚障害教育では、デジタル補聴器や人工内耳等の補聴テクノロジーの進歩により聴覚活用の可能性が拡がるとともに、手話を中心にすえた指導や支援も拡がりつつあります。しかし、従来の聴覚障害教育では、聞こえない、聞こえにくい・者が相互に深く語り合える「手話」はみっともない、はずかしいものであるとされ、手話で生き生きと話すこと、手話で教育する手話法が否定されてきました。その結果、聞こえない者のアイデンティティ発達の問題(聞こえないことによるネガティブな自己の肥大、対人関係形成の困難、家族関係の軋轢など)、日本語リテラシーの獲得の問題、就労の問題、生活が困難である聴覚障害/聾者の存在、社会参加の壁などの多くの問題が存在しています。

私は現在、聞こえない、聞こえにくい子・者のアイデンティティ発達に関する研究を進めています。というのもアイデンティティ発達において、聞こえない子・者がもつコミュニケーションや言語は聞こえる子・者とは異なり、聞こえる家族との関係に大きな影響があると考えるからです。そのため、私は「聞こえない者」が参加するグループワークへの参与観察を現在実施しています。現在もデータ収集中ですが、これまで分析を実施したデータから、情緒的交流のあり方の様相が聞こえない者のアイデンティティ発達と聞こえる家族の関係にかかわりがあるのではないかという仮説を立てています。また、聞こえる家族(主として母親)に面接調査を実施し、家族関係の様相も調べています。

さて、私の研究分野でもっとも大きな権威があるものとして、聾教育国際会議(以下、ICED)があげられます。このICEDは長い歴史をもち、第1回は1878年にフランスで開催されました。第2回の1880年はイタリアのミラノで開催(いわゆる「ミラノ会議(Milan Cogress)」)されましたが、そのミラノ会議では手話法を禁じ、口話法を積極的に奨励する決議文が採択されました。この出来事は聴覚障害/聾者の言語と尊厳を傷つけ、長年問題となっていました。

enlearge image (to back to press x)*それから130年後の昨年7月、カナダのバンクーバーで開かれた第21回ICEDは「手話を否定したミラノ会議のすべての決議を却下する」旨の決議を採択しました。130年前のミラノ会議は手話を否定し、130年後バンクーバーで開かれたICEDは、ミラノ会議での決議を却下したのです。ミラノ会議での決議は「有害な結果をもたらした」と認め、「すべての国のろう教育で、すべての言語とコミュニケーション手段を尊重する」との立場から聴覚障害教育に手話を取り入れることを促しています。決議の瞬間、参加者はスタンディング・オベーションで湧きたち、「今日、歴史が作られた」と興奮して(手話で)叫びました。

私は研究発表をするために今回、バンクーバーICEDに参加し、この歴史的瞬間に立ち会うことができました。私は聞こえない子どもたちの心理について研究をしているので、ほんとうに嬉しい瞬間でした。日本でも手話が言語として認められたので、今後の課題はバンクーバーICEDでの決議を聴覚障害教育や、聴覚障害者支援の場に生かせられるように取り組んでいくことだと考えています(上の写真:開会式の際に、大会役員の一人であるMarguerite Henderson氏が「ミラノ会議の決議全文をリジェクトする」という文書を読み上げている様子)。

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