「大切な他者」のためになりたいという欲望――著書『共依存の倫理』を振り返る

掲載日: 2018年03月01日English

小西真理子2017『共依存の倫理』晃洋書房 海辺で思いふける二人

私はこれまでに多くの「共依存」(注)的な人(以下、共依存者)に出会ってきました。共依存者のなかには私にとって「大切な他者」もいたため、その問題を解決したいと強く思うようになりました。共依存に苦しむ人が現在普及している回復論にもとづいて苦しみから解放される姿をはじめて見たときの感動は、今でも忘れられません。「共依存」というものは、当事者を苦しめ、関係者も傷つけるのだと実感した私は、「共依存者は依存しつつも自立/自律できるような人へと回復するべきだ」と思っていました。しかし、次第に、そのような考えによってこそ苦しみ、傷つけられる人びとがいることに気づくようになりました。

共依存者がアクセスする医療・支援というものに関して行き詰まりを感じていた私は、気づけばアカデミズムの世界で共依存研究をしていました。医療・支援に関する臨床の知は、多くの場合、病理からの「回復」のために存在しています。現代社会の諸々の事情を考慮するならば、支援は回復をめざすべきともいえますが、私はそれとは異なるものを見つけることで誰かを救いたかったのです。

先端総合学術研究科に受理された博士論文を加筆修正した著書『共依存の倫理――必要とされることを渇望する人びと』(晃洋書房、2017年)では、「共依存」という言葉の歴史や理論などを分析することで、共依存概念が受け入れられてきた背景に、「関係性におけるあるべき姿」を説く倫理観が内在していることを明らかにしました。共依存は回復が必要な「自己喪失の病」であり、共依存者は「偽の自己」を生きる病人だと語られます。また、共依存関係にある人は、「偽物の愛」を「真実の愛」だと思い込み、現実から目をそらしている人と見なされます。しかし、共依存的な生き方に「真実」を見出している人は少なからず存在します。共依存者のなかには、治療や他者の介入を通じて現状の「改善」を拒否することで、あるいは、そのようなことを想定さえしないで、「悲劇的な人生」のなかに「肯定性」を発見し、「不幸」のなかの「幸福」を見つめて生きている人びとがいます。共依存的なあり方こそが幸せの形だと考え続ける人もいます。著書では、共依存という生き方を選ぶ者を肯定し、これまで臨床の専門家や各領域の理論家が見逃してきた、あるいは否定してきた「倫理(エートス)」を提示しました。私にとって共依存の肯定性は、これまで多くの共依存者と関わるなかで当たり前のように見てきたことに言葉を与えただけのものです。ただ、これを言語化することは、あまり言われていなかったことだからか、あるいは、言ってはいけないことのように感じてか、困難をともなう作業でもありました。

私が肯定する共依存者(共依存という生き方を全うする者)の多くは、自らの声を、自らが表だって発することを望まない傾向にあるように思います。かといって、研究をつうじてその人たちの声を「代弁」するということは大変おこがましいことのように感じます。私は「そういう人を救いたい」という欲望をもっていて、そのための方法を探しているだけなのだと思います。『共依存の倫理』を執筆したことで、数人の共依存者から「救われた」との声をもらうことができました。私にとってこの言葉こそ、研究への原動力です。私の共依存研究は、共依存者に支えられ、共依存関係によって成り立っています。

昨年度(2016年)より、特定の自助グループや精神科医の方と関わるようになり、より実践的な研究に着手するようになりました。私はこれまで特定の「当事者」の声を傾聴することに重きを置いて研究してきましたが、今後は、臨床の専門家や当事者家族の声、さらには社会政策などを総合的に見渡しながら、研究者としての仕事を全うしていきたいです。

共依存の詳細については以下を参照
小西真理子「共依存――依存的な関係性を考える」(2012年4月「研究の現場」)

小西真理子(日本学術振興会特別研究員RPD(立命館大学))

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